今日もほんわか

心と体のほんわか手当てをしています。

日常やケアを通して感じることを綴るブログです。

皆さまがご自分らしい元気で満ちますように。

堤 文子



母と「孤独」について話しました。

両親を亡くされた知人がご兄弟とも折り合いが良くなく、天涯孤独のように暮らしているということからでした。


母「人は誰でも孤独よ。その孤独が大きいか小さいかの違いで。」


孤独が深いとか孤独感が強いとかではなく、大きい小さいという表現が独特だったので、どんなイメージで使ったのか訊ねました。


母「内に籠って自分の世界を狭めていく人は、孤独が大きい。交流や世界を広く持っていても、その人の中にも孤独はある。ただそっちの方が小さいというか・・・。」

私「自分の世界に占める割合のようなもの?」

母「そうね。でも、孤独を持つことは大切なこと。」

私「幸せな家族や仲間に囲まれていても、孤独と思えば孤独だもんね。逆にそれを大切にしないと、全てを共有し合って暮らすのはよろしくないこともあるよね。」


共依存になり過ぎないためにも、自分の中に孤独の領域を持つのは大切なことのように思います。



そんな話から、私が小さいときの思い出話になりました。

私は全く覚えていないのですが、小学4年生くらいだったろうと母は言います。

髪を切るとか切らないとか些細なことだったようなのですが、私が何かを相談したとき母が

「好きにしなさい。」

と言ったら、私が酷く泣いたのだそうです。

母に決めて欲しくて相談したのに、突き放されたような、ほったらかされたような気がしたのだろうと。

「そうじゃないよ。自分のことは自分で考えて決めるってことよ。」

と説明したら納得したそうで、

「お陰で今もあんたは人から決められるのが嫌いよね?」

と笑われました。



孤独について話せる相手がいるのは、有難いことですね。

使うのは西日本でしょうか。

「ふが良かったね。」

というと、運が良かったね、めぐりあわせが良かったね。

「ふが悪かったね。」

というと、運が悪かった、ついていなかったというニュアンスになります。


身に付けて邪気を払い災いを免れるためのおふだを「護符」というように、「符(ふ)」には天や世に通じ示すしるしの意味があります。

そこから、めぐりあわせ、運、天からの知らせとして使われるようになったのでしょう。



この頃は「ふが悪い」で済まさない風潮が強くなっているような気がします。

昔は「不運な出来事・事故だった」としたことも、今では徹底的な原因追及、管理責任を問われます。

悲しみ苦しみ怒りの矛先は、「ふ」というあいまいな神秘ではなく、誰かに向けられるようになりました。

もちろんそれが必要なことも多くあると思いますが、あまりに攻撃的になるのは怖いです。


例えを出すのは難しいですが、公園の遊具問題や、自然の中での事故など。

リスクを完全撤廃しようとすると冒険も自由度もなくなり、何かが生まれる可能性も楽しみも取り去られてしまうように思います。

人智が及ばないことも起こりうる訳で。


あいまいな神秘を排除しすぎると、人の逃げ場もなくなります。

ブラックボックスかプラチナボックスかわかりませんが、「ふ」のような感覚は残しておいた方が心には平和かもしれません。

気の合う伯母がいます。

遠くに暮らしているのでなかなか会うことができませんが、なんとなく通じているような気のする人です。


昨年久しぶりに会いに行って、ゆっくり話をしました。

90を越えても体はしっかりして、食器を乗せたお盆を持って階段の上り下りができる程。

会話はときどきループするようになって、さすがに年を取りました。

伯母の部屋には、思い出の写真や手紙、手作りの小物などがたくさん飾ってあり、霞がかかるようになった記憶を覗いているような気持ちになります。

中に少し異質な活字のプリントを見つけました。


「他人の悪口は嘘でも面白いが、

 自分の悪口は本当でも腹が立つ」


なるほどねと笑いました。

自分の悪口は、本当でもというより、本当だから腹が立つのでしょうね。

伯母がなぜこれを取っておいたのかはわかりませんが、何となく書き留めて帰って来ました。

他人の悪口を面白がるようじゃぁいけないな。

自分の非はちゃんと受け入れないとな。

以来、悪口の場面に出くわすと、この言葉を思い出します。

おおよその桜も散って、一気に葉が芽吹いてきました。

地域や種類によってはまだまだ盛りのところもあるでしょう。

久留米でも里桜でしょうか、遅咲きの八重が真っ盛りです。

昨夜はケア教室帰りにお仲間と夜桜散歩を楽しみました。


この時期は体調管理が難しいですね。

暑いのか寒いのか、何を着ていいのかわからない。

なんだかやたらと眠たかったり。

自律神経が乱れやすく、心の安定を保つのも難しいときがありますね。

地面から芽吹きの力が湧き上がってくるので、フカフカ浮いてしまわないようしっかり踏みしめなければと思います。


足首から下の撫で擦りなどいかがでしょうか?

足の甲に手を当て擦ると、抗重力(重力にあらがう力)が上がります。

足首周りのケアで足の甲が返しやすくなると、躓きにくくなります。

足裏をグーで擦って、老廃エネルギーを排出できるようになると、それに引っ張られて膝周りや鼠径部の詰まりが抜けやすくなることもあります。


自分でできるケアもたくさんあります。

自分だけではできないときは、私も他の方のお力を借りながらです。

地球と調和して、新しい季節に慣れていきましょう。

参考過去記事『木の芽どき』https://honwaka.theblog.me/posts/33244230

先日、車で母と1泊旅行に行きました。

高速道路に乗り、道のりの半分くらいのサービスエリアで休憩してまた走り出すと、エンジンの警告灯が点いていることに気が付きました。

異音や異臭はしませんが、何が起こったのやら怖いのなんの。

ようやく次のサービスエリアのガソリンスタンドまでたどり着けて、ひとまずホッとしました。


店員さんに見てもらって、エンジンオイルや冷却水は大丈夫そうでしたが、

「ここには整備士が居ないので、次のインターで降りて目の前のスタンドで整備士に見てもらった方がいいでしょう。このまま目的地まで走るのは危ないかも。」

とのこと。

途中で降りると高速代が高くつくなぁとか、午前中にあそこまで行きたかったのになぁとかよぎります。

でも、安全以上に優先することはありません。

教えられた通り次のインターで降りて、ガソリンスタンドに入りました。


とても感じの良い整備士さんが応対してくださり、機械を繋いで原因を探ります。

あるセンサーに異常が見つかって、そこを掃除してくださいました。

ところが、余計に酷くなってしまったそうで。

お仲間にも訊きながら色々調べてくださったら、クリーナーを使ったのが良くなかったとかで、部品を交換しなければならなくなりました。

整備士さんも

「僕がいらんこと掃除しすぎたから・・・。」

と申し訳なさそうに、

「代車をお出しするので、これで旅行に行かれますか?」

と。

慣れない車で慣れない場所を巡るのは不自由ですし、それでは帰りにまた自分の車を取りに寄らなくてはならなくなります。

どうせ、母と2人の気ままな旅行です。

サクッと気分とプランを切り替えて、車が直るまでその町を観光することにしました。


整備士さんに町のおすすめの場所と食事処を教えてもらい、お借りした代車でプチ観光です。

少し雨模様の中、咲き始めた桜も楽しみながらの贅沢な時間。

こんなことでもなければ、立ち寄ることもない土地だったかもしれません。

思いもしなかったところを代車で走りながら、

「不思議ねぇ。人生って面白いねぇ。」

と何度も何度も笑い合いました。


最初は翌日になると言われた部品も、無理言って午後には届けてもらい、目ぼしい観光が終わった頃にちょうど修理完了の連絡が入りました。

道の駅で買ってきたお菓子をお土産に、修理と代車と観光情報のお礼を伝えてお支払いしようとすると、

「お代は要りません。自分がいらんことしたせいなので。」

と頑なに仰います。

「いえいえ、そもそも交換が必要だったんですから。せめて部品代だけでも。洗車までしてくださって、洗車代を。じゃぁ代車の費用を。」

どれも「要りません」と仰るので、ご厚意に甘えさせていただくことにしました。

大して入らないガソリンを満タンにさせてもらって、予定の行程へ戻りました。


その後は車も快調で、行きたかったところも食べたかったものも買いたかったものもコンプリートで無事に帰って来ました。


こんな素敵な出来事があるのですね。

整備士さん始め、携わってくださった皆さんに感謝です。

最高の思い出になりました。

このご恩は他の方に3倍、5倍にしてペイフォワードしていきます。

整備士さんが「体に優しいおうどん屋さん」と教えてくれたお店

今年も3ヶ月が過ぎたなんて、あっっっという間すぎて嘘のようです。

明日から新年度で、ご自身やご家族が新生活を迎えられる方もいらっしゃると思います。

良き出会い、幸多きことを願います。



ニュースでは、満開を迎えようとする桜と、予断を許さない世界情勢とが報じられ、どうして美しい地球のいのちを大切にできないのだろうかと憤りを感じます。

例えば指先を少し切っただけでも、暮らしは不自由になり、全心身に滞りが生まれます。

地球上のどこかが傷めば、地球全体に痛みと悲しみが拡がります。

本当に、平和であって欲しい。

自分と自分の身近な人やものを大切にして、ポジティブなエネルギーを作り続けることも、今ここでできる平和への力だと思っています。


手塚治虫さんが仰ったそうです。

「ぼくたちは、かけがえのない地球に“同乗”している仲間です。」

甲状腺全摘手術から、お陰さまで無事に1年経ちました。

入院中仲良くなった方たちと今でも交流があって、去年の今頃は痛みに耐えながらだったねぇと振り返りました。


定期的に検診に行っていますが、異常もなく、一時は無理なんじゃないかと弱気になった歌も歌えるようになりました。

術後は1つ1つが奇跡のような感動と感謝に満ちていましたが、今はすっかり日常にまみれてしまった感があり、少し反省です。

でも、それくらい「取り戻した」ということかしらとも思います。



久しぶりに、術後すぐの傷口の写真などを振り返ってみました。

あまりにもグロテスクなのでアップは避けますが、つくづく生物の回復力とは凄いなぁと感心します。


こんな写真も出てきました。

退院して物置部屋の整理をしていたときに目に留まって、パッと開いて出会ったものを撮っていたようです。

ノートルダム清心学園理事長 渡辺和子さん著『幸せはあなたの心が決める』
「自分に起こるすべてを恵みとして生きる。」
日々遭遇することが、どんなに思いがけないことであっても、それは新しいことを学ぶチャンス。


意識せず暮らしていても、あの経験が恵みになっていることは感じます。

支えてくださる皆さまに、改めて、ありがとうございます。

以前、ソフトバンクホークスの選手のトレーナーをされている方の講座を受けたことがあります。

その中で「緊張の抜き方」について教えていただき、ホークスの選手たちも実践していると聴きました。

先日テレビで小久保裕紀監督が同じ方法をお話されていて、数年越しに話が繋がった気がして嬉しくなりました。


緊張したら、さらに緊張を作る。

(拳を握るなどしてわざと力を入れ、体を緊張させる。)

そこから一気に脱力すると、手のひらなどに血が流れるのを感じる。

このとき、自分の心と体は緩んでいるんだと言い聞かせる。

一気に解放して言い聞かせる。


一流アスリートのアドバイスは、説得力が違いますねぇ。

参考過去記事 『緊張が抜けないとき』https://honwaka.theblog.me/posts/36557935

近頃なんやかやと負荷がかかり、脳がお疲れ気味なのは自覚していました。

昨日とうとう、連絡を入れる約束をすっかり飛ばしてしまい、ご迷惑をおかけしてしまいました。

猛反省中です。

自分のキャパシティーの小ささと、自覚以上にストレスを抱えていたことに気付かされました。

いやはや・・・。



脳に大量に入ってくる情報を処理できなかったり、ストレス過剰状態が続くと、集中力が続かなかったりミスが生まれやすくなったりします。

脳疲労と呼ばれる状態ですね。

まさに昨日の私、脳がブレブレでした。

そんな状態を抱えた頭をケアすると、フル回転中のハードディスクに手を置いたような振動と熱を感じます。


頭のケアでリラックスしようと思います。


仰向けに寝て、首の付け根~後頭部辺りに手の平を敷き、舌を上あごに当てます。

その状態でリラックス。

さらに指を立てて頭の重みを乗せてリラックス。


頭も気分もリフレッシュして、また1つずつ事に挑みます。

こんな風に抜けることのある私です。

願わくば、叱咤、激励、サポート、お許し、諦めていただいて、お付き合いくだされば有難いです。


参考過去記事 『頭の重さはボーリングの球くらい』https://honwaka.theblog.me/posts/20743429

夕方のニュースで“ムギュッ!の日”を紹介していました。


宮崎県延岡市の北浦地区には、10年程前から続くユニークな宿題があるそうです。

満月の日、家族でハグに挑戦するというもの。

この地区は海の仕事をする親御さんが多く、数ヶ月家を留守にする方もおられるそう。

満月には漁が休みになるので、家族が揃う特別な日に絆を深める“ムギュッ!の日”の取り組みが始まったのだそうです。

ニュースでは、小学校の子どもたちに年6回(1学期に2回)の満月の日付が入ったかカードが配られていました。

それをご家族に見せて、ハグのきっかけにするのですね。

令和6年度には、優良PTA文部科学大臣表彰を受賞されたそうです。


取材を受けておられた漁業のお父さんは、家にいるのは1年のうち4ヶ月くらいだそうで、

「ハグすることでいろんなものを詰め込められる。

父親が絶対いるという安心感だけは持っていてほしい。」

と仰っていました。

娘さんは、

「なかなか家にいないから、ギュってできたときはすごくうれしい。

いつもあえてなかった寂しさを込めながらギュってしています。」

と。

ムギュッ!と抱き合う姿に、ジーンとしてしまいました。



大きくなってくると、恥ずかしくて言葉にできない思いも増えます。

言葉は便利だけれど、時にまやかしも混じるでしょう。

ハグで通い合う波動には嘘がつけません。

言葉にできない思いを込めて“ムギュッ!”。

触れ合うことで幸せホルモンは双方に分泌されますから、癒やされ元気になるのは子どもだけでなく、大人も救われているのだろうと思います。


家庭の環境も関係もいろいろで、もしかしたらデリケートなこともあるかもしれません。

でも、とても価値ある取り組みだと感じました。


参考過去記事 『幸せホルモンーオキシトシン』https://honwaka.theblog.me/posts/54607202

ミラノ・コルティナ2026オリンピックが閉幕しました。

冬季はダイナミックで度肝を抜かれるような競技が多いですね。

選手たちの姿に涙し、寝不足の方も多かったのでは。

中でもフィギュアスケート「りくりゅう」ペアの金メダルは話題になりました。

木原龍一選手が三浦璃来選手と初めてトライアウトで滑ったとき、手を握った瞬間あまりにもピッタリだったので“雷が落ちる”ような衝撃だったと話しておられました。


以前書いたことがありますが、私のお茶碗は自分の手でロクロで作って焼いてもらったものです。

初めて使って洗おうとしたとき、両掌に吸い付くようにしっくり馴染んでゾクッとしたのを覚えています。

自分の手のカーブで作ったものですから究極です。

参考過去記事 『用の美』https://honwaka.theblog.me/posts/39628314


龍一くんが璃来ちゃんの手に感じた衝撃は、あの感動の数百倍?数万倍?・・・なんて考えてしまいました。

最高の相手と巡り会って、そして何より最大限の努力を重ねて来られたからこそ、心打たれるものがあるのでしょうね。



日常の人間関係も、自分の霊魂と肉体の相性も、最初から金メダル級にバッチリ合う人は少ないかもしれません。

それを擦り合わせながら生きるのは大変なときもありますが、その努力も葛藤も尊いことだと思うのです。

この頃、時代もののテレビドラマやアニメに感じる違和感2点。


画面の暗さ。

ほぼ真っ黒で、何が映っているかわからないことがあります。

部屋の明かりを消して目を凝らしても、見えるか見えないか。

「当時の暗さをリアルに表現した。」

という制作側の話も読みましたが、家庭のテレビで見えなければ元も子もないかと・・・。


もう1つは、スキンシップの描写。

武家の人が家族の頬を両手で触りまくったりハグしたり。

果たしてその時代にそんな接触があったでしょうか。

現代でも日本人は、生活の中で人の頬に触れるようなコミュニケーションはなかなかしないと思うのですが。

心情がわかりやすいように取り入れた表現だとすれば、暗さのリアリティーとは逆を行っている気がします。


そんな違和感がつのって、見つづけられなくなった作品がいくつもあります。

伝えたいことと、伝わる表現とのギャップ、難しいですね。