今日もほんわか

心と体のほんわか手当てをしています。

日常やケアを通して感じることを綴るブログです。

皆さまがご自分らしい元気で満ちますように。

堤 文子



Eテレの『2355』という番組が好きです。

「夜ふかしワークショップ」という色んな実験を見せてくれるコーナーで、先日感心したことがありました。


青空の写真の一部を小さくくり抜いて、青の濃いところ〜薄いところに動かしてみると、動かしているパーツの色が濃く見えたり薄く見えたり、変化して感じるのです。

変わっているのは背景の色の方なのに、不思議です。

青空の一部分をくり抜いて、同じものを縦に並べています


あぁ、こういうことって色々な場面に当てはまるなぁと思いました。

例えば、いつもの仕事仲間が何故かどいつもこいつも嫌な奴に感じたり、何て素敵な人たちに囲まれているんだろうと思えたり。

美味しかったはずのお店が、味が落ちたなぁと感じたり、今日は美味しいなぁと思ったり。

人が変わったのか、お店の味が変わったのか、私には断言する自信はないのですよね。

自分の心持ちや体調にも青空のようなグラデーションがあって、今日どの部分でものに接しているかで見え方感じ方は全然変わると思うのです。



以前の修行先で、来るたび痛いところの訴えが変わるタイプの方がいました。

今日はここが、今日はここが…。

「あぁいう人は治りにくいんだよね…。」

と師匠がこっそりこぼしていたのを思い出します。


例えば腰が痛くなったとして、そこが軽くなると今度は右肩が痛くなったと言う。

おそらく急に右肩が痛くなった訳ではなく、腰に注意が向いている間忘れていたものが、そちらが楽になると別のものが気になりだす。

そんなことってあるものです。

「お陰で腰が楽になりましたー!」

と素直に喜んで感謝を表現される方は、早く回復していかれるのを何度も見ました。


悪いこと・辛いことを追うか、良くなったところを見つけて喜びを追いかけるかで、心の豊かさが変わります。

幸せのスパイラルで暮らそうというのが、師匠の教えでした。



パーツばかり注視しているとパーツが変化して見えるけれど、実際は背景が変わるから見え方が変わっているだけ。

そんなこともあるのだという知識を持って広く眺めることができたら、困りごとから早く抜け出すきっかけを掴めそうです。

木々が色づいてくると、何となくセンチメンタルな気分になるものです。

こんな異常な暑さの夏の後だと、今年の紅葉はどうなのでしょうねぇ。



先日、紅葉の山を伝える番組で、木々が色づく仕組みの話があっていました。

気温が下がってくると光合成の効率が落ちるので、葉を付けておく負担の方が大きくなります。

それで葉を落とすのですが、その前に再利用できるタンパク質を回収するのだそうです。

葉の成分を分解してタンパク質を幹の側に取り出すと、葉の側に残った成分が赤や黄色の素になります。

やがて落ちた葉も、土をカバーし、いずれ養分となるでしょう。

全てが循環して、次の新しい緑へ繋がっていくのですね。

そんな仕組みを知ると、センチさより逞しさを感じてしまいます。



去っていくのは淋しいことじゃなくて次への準備。

暮らしの中でもそう思えると、いろいろと楽になることもありそうです。

棒の先まで虫が登って飛ぶように、

雷が尖ったところに落ちるように、

出っぱりは外の世界と出入りしやすい場所です。


体の中、骨にもいくつか出っぱりがあって、突起(とっき)と呼ばれます。

細かく見れば、小さな骨1つ1つの出っぱりにも、突起とか棘(きょく=トゲの意味)とか名前が付いているところはたくさんあります。

行動医学療法的に大切にしているのは、図の左上から、乳様突起、烏口突起、剣状突起。

そして、手首と足くるぶしもグリグリ出っぱったケアポイントです。


出っぱりが外界との出入り口ならば、要らなくなったエネルギーを排出する場所であり、外からの情報をキャッチするアンテナとも考えられます。

猫の手(グー)や手の平でさすることで、排出を促します。

手を当てているとリラックスしますし、突起に繋がった筋肉への働きかけにもなります。


耳の後ろの乳様突起あたりをさすると、首がスムーズに回ったり、顎が動きやすくなったりするのを感じられるかと思います。

胸のうつうつや聴こえにも影響する、大切なケアポイントです。


烏口突起は肩甲骨の一部ですが体の前側に突き出ていて、腕の付け根辺りで触ることができます。

ここには腕や胸の筋肉が繋がっているので、ケアすることで肩や腕の動きが良くなったり呼吸が楽になったりします。


剣状突起は胸の真ん中の骨の一番下端、みぞおちのところにあります。

“吐くに吐けない腹に抱えたもの”が悩ましいときは、ここをさすったり、みぞおちに指で少し圧を加えながら深く息を吐くと、心身が緩んできます。


出っぱりケアで不要不快は上手に排出して、アンテナを磨いていたいなと思います。


過去参考記事

 『烏口突起(うこうとっき)』 https://honwaka.theblog.me/posts/25430044

 『“聴こえ”のケア』 https://honwaka.theblog.me/posts/10784432

母校である明善高校の大同窓会が開催されました。

今年は幹事学年でしたので、前々からの準備~当日スタッフの1人として携わりました。

まだこの後も残務は続きますが、ひとまず終わってホッとしています。

以前は千数百名が年に1度、戦前生まれの方から卒業間もない人たちまで集まられていたそうです。

時代とコロナ禍もあって減ったとはいえ、最終集計を聞いていませんが、今年は650名くらいだったのでしょうか。

このところ「善」の字を目にする機会が多かったので、今日はそれをテーマに。



「善」というと、普遍的なものがあるかのような、個人的には硬い響きを感じてしまいます。

でも、時代によって、場面によって、人によって、価値観も尺度も変わるもの。

17世紀オランダの哲学者スピノザは、

「善悪は物事の組み合わせで決まり、それ自体として善いものや悪いものはない。」

と言ったそうです。

「私にとって善いものとは、私とうまく組み合わさって、私の持つ能力(私の力)を増大させるものである。」

と。


例えばこんな解説がありました。

「音楽」が落ち込んでいる人を元気づけるなら、それはその人にとって善いもの。

悲しみに浸る邪魔になるなら、それは悪いもの。

聞こえない人にとっては、善くも悪くもないもの。

「音楽」自体に善悪は無く、物事の組み合わせで決まるということがイメージできます。

人と人も、組む相手によって力を発揮できたり、ギクシャクしたりしますね。

上手くいかないときも、チームを組むには合わないのだなと思えば、無駄に相手や自分を悪く思うことも要りません。

引き立て合って、自分だけでは出来ないようなことを成し遂げられると、それはまさに「善」。

30数年ぶりに同級生と協働しながら、友の有難さを感じました。

息で吸った空気は肺に行きますが、食べものと一緒に飲み込んだ空気は胃や腸に行きます。

それが逆戻りして口から出たのがゲップ。

胃を通り過ぎて、腸内で発生したガスと一緒にお尻から出るのがオナラ。

どちらも体の中から出てくるもので、臭いもあって、そして出るとスッキリします。



以前、映画『グリーンマイル』の中で不思議な力を持つ死刑囚が、病んだ人の邪気を吸い取って吐きだし癒やす話を書きました。

過去参考記事 『邪気を排出する』 https://honwaka.theblog.me/posts/10451637


セルフでも施術でも、ケアをしながらゲップが出ることはしばしばです。

自分自身やクライアントさんの老廃エネルギーが出ているんだなと思います。

ストレスを多く抱えている方のケアをすると、たくさんゲップが出ます。

ゲップが出ると施術している私も楽になりますし、クライアントさんもホッと楽になられるのがわかります。

上がってきたゲップを飲み込んでは自分が傷んでしまうので、なるべくその場で出してしまいたい。

でも、あまりゲップゲップ言うのも失礼な気がして、何となくじわっと「すかしっプ」をしたりします。


昨日のケアは仲良しの友人だからと甘えて、ケア前に生ニンニク入りのラーメンを食べたら自分でも驚く程のニンニク臭で、友人に断って飴を舐め舐めケアをしていたのですが、ゲップが出そうになって、これはさすがに「すかしっプ」はマズいと飲み込みました。

以後気をつけます。

スギ、ヒノキなどの花粉や黄砂など、アレルギーといえば春のイメージが強いですが、実は秋もアレルギーの多い季節です。


秋の花粉症のアレルゲンを検索すると、ブタクサ、ヨモギ、カナムグラなどが多いようです。

スギやヒノキほど花粉が遠くまで飛ばないので、草むらに近づかないようにすることが予防法の1つです。

マスクをしたり、帰宅時には服をはらってから家に入る、すぐに洗顔・うがいをするなど、花粉症対策は春・秋同じですね。


もう1つ、秋に悪化しやすいのがハウスダストによるアレルギー症状。

私も元々が頑健な方ではないので、ちょいちょいどっかこっかどーかこーか(どこそこ何かしら)あるのですが、秋は鼻炎が悪化しやすいです。

私の場合は、ハウスダストと寒暖差が良くないですねぇ。


ハウスダストには、室内のホコリやダニ(死骸も)、ペットの毛、人の髪の毛、フケ、カビなどが含まれます。

ダニは夏に繁殖し、秋になると一斉に死んで死骸やフンが増加・蓄積するのだそうです。

急に朝晩涼しくなって、厚めのお布団を出した方もいらっしゃるのでは?

久しぶりに使うお布団には…。

この時期、お掃除や寝具のお手入れには気を配った方が良さそうです。



この夏の酷暑がようやく過ぎて、心身もホッとしたと同時に、リズムが乱れたり疲れが出たりしやすい頃でもあります。

自律神経が整うリラックスや、アレルギー体質改善を目指した栄養補給、症状緩和のマッサージなど心がけたいところ。

でも、症状がつらいときには、病院を受診してみるのはどうですか?

内服薬、点眼薬、点鼻薬などで少しでも早く症状を緩和させると、睡眠が取れるようになって楽になります。

しっかり眠って体力を回復させて、それと並行しての自然療法が良いのではと私は思います。


過去参考記事 『ホットタオル』 https://honwaka.theblog.me/posts/41548492

目の疲れやトラブル、気になる方も多いのでは?

私自身、以前からの近視・乱視に加えて、着々と突入しました老眼、ドライアイ気味でもあり、目のケアは気にするところです。



「眼ヨガ」をご存知ですか?

メディアでよく取り上げられた頃もありました。

「龍村ヨガ研究所」所長の龍村修さんが推奨されていて、本も出版されています。

本格的な眼ヨガは、ヨガの呼吸法やポーズに眼の運動を組み合わせていくつものポーズがあるようですが、その導入にあたるような「照気法」は簡単で効果も高いのでおすすめです。



目に新鮮な「気」を送ることで疲れを取り除くヨガ「照気法」


① 両手をこすり合わせて温めます。


② 手の平をお椀形にして、閉じた目にかざします。

このとき手の平の真ん中が眼球の位置に来るように、そして手の平が直接目に触れないようにします。


③ 呼吸します。(10回くらい)

手から目へ新鮮な気を送り、それを目から吸う(気持ちで鼻から吸う)。

老廃物を出すように口から吐きます。


手の熱で、目の周りの血流も良くなります。


【参考】認定NPO法人 日本ヨガ連盟 のホームページ にも、基本ポーズの1つとして紹介されています。



他人にケアしてもらうのはとても心地良いですし、セルフケアとは別の良さがたくさんあります。

でも、こういう自分からの呼吸や動き、気の流れが肝になる方法は、やっぱり自分主体で行うと、段違いに効果絶大です。

これだけで視力がある程度回復される方もおられるのだとか。

ビフォーアフターで、目の開き方や見え方がどんな風に変わるか、試してみられてはいかがですか?

「カラダの声を聴く」なんて言いますが、ケアを施術していると、全身を歩いて現場隅々の声を拾っているような気持ちになります。

気持ちよく働けているか、困っていることはないか、不具合は出ていないか、足りないものはないか…。

あちこちで声があがってきます。


股関節「違和感あるんですけど、まぁ我慢しています。」

足首「股関節さんの皺寄せが私のところに来て困ってるんです。」

膝「あ、はい、腫れて熱いです。シップ貼ればよかろうとか、そういうことではないんですけどねぇ。」

お尻「必死に支えてきたんですけど、そろそろ限界で…、もぅ…痺れが…。」

「いつまで現場の善意に甘えているつもりなんですかねぇ。中央は改革する気があるのでしょうか!?」

ダーク企業のドキュメントを妄想してしまいます。



歩きにくさ、ちょっとした痺れ、靴下のあとが付くようになった、なんだか鬱々が拭えない…など、カラダも心も色々なシグナルを送ってくれています。

なかなか気付けなかったり、見て見ぬふりを続けてしまったり、現場の声に耳を傾けない指揮官では困りますね。


私たちができる改革は何でしょう?

いろいろな方法があるでしょうし、アドバイスや助けてくれる人もいます。

まずは自分自身が現場の声を聴いて、何かを変えてみようと思う事から始まるのではないでしょうか。

今日は中秋の名月だそうです。

今夜は空を見上げて、宇宙を感じる方も多いかもしれませんね。



「シューマン共振(共鳴)」という現象についてお聞きになったことがありますか?

地球の鼓動とか、地球の呼吸などと呼ぶ人もいます。

1952年にドイツのシューマン教授によって理論的に予測されたことから、その名前が付いています。

大気の上の方には、電子密度が大きくて電波を反射する「電離層」というところがあります。

その電離層と地表との間を駆け巡る電磁波が共振を起こす現象のことです。


雷などで発生した電磁波のうち、周波数の高いものは早く消えてしまいます。

周波数の低いものはなかなか減衰しない特徴があって、中でも地球を巡る長さと電磁波の長さの条件が合うと共振して、いつまでもその波が残ります。

7.83Hz(一次)、14.1Hz(二次)、20.3Hz(三次)、・・・といくつもの周波数が、常に共振を続けているのだそうです。

地球が脈打っているような・・・まさに地球の鼓動。

そしてこの現象は、人の脳に関係しているといわれます。

私たちは、地球とリンクして生きているのですね。

興味深いことに、一次共振の7.83Hzは、リラックス時の脳波=α波と同じくらいです。

α波はストレスを鎮め、免疫力を高める効果が期待されます。

集中力が研ぎ澄まされているときにもα波が出ることから、脳の活性化にも関わります。

地球のリズムと合った暮らしが如何に大切かを感じます。



シューマン共振は、太陽風や雷など様々な要因で常に変化しています。

大きく揺らぐと、通信が乱れたり、電化製品が壊れたり、時には不調として感じる方もいるそうです。

自分の住む地球の振動と無縁で居られるはずありませんが、そういうこともあるのだなぁと知った上で、右往左往し過ぎずに暮らせる強さを持ちたいと思います。


自分という自然を整えることも、地球を守ることに通じる大切なこと。

そう信じて、ケアをし、お伝えしています。

鹿児島~宮崎あたりで使われる方言「てげてげ」。

なんとも響きが良くて、好きな言葉です。


私のネイティブ、筑後弁にも「て~げ~」「て~げ」はあります。

「大概(たいがい)」から変化した形で、意味は「非常に、とても」「ほどほど、いい加減」など。

「て~げ~でよかが。」(だいたいでいいよ。)

「て~げ~にしとかんか!」(いい加減にしなさい!)

「て~げ旨かったばい。」(とっても美味しかったよ。)

のような使い方です。

個人的には、女性が使うにはちょっとキツイような、田舎強めのような気がします。


以前よく鹿児島へ行った時期に、地元の方の「てげてげ」を聴いて、一発で気に入ってしまいました。

性別など関係なく使わるようですね。

やはり「いい加減、ちょうどいいくらい」のような意味ですが、筑後弁の「て~げ~」に比べると、可愛らしくて大らかに聴こえます。

私にとっては、なんだかホッとさせてくれる言葉です。


つい一所懸命に入り込んでしまって煮詰まったとき、この「てげてげ」が浮かんできます。

あまり根を詰めずに、てげてげで。

そんな姿勢が大切なときもありますよね。

時代劇など門の前で、

「開門~。頼もう~。」

という場面があります。

「案内(あない)を頼もう~。」

ということらしいです。

お屋敷の門だったり、道場破りもあるかもしれません。



自分でもクライアントさんでも、ケア始めの体は閉ざした感じがあります。

当然です。

いつも開けっぴろげでは、大切なものは出ていくし、要らないものが入って来て困ります。

ケアでは、自分の中の要らなくなったものを排出したり、新鮮なものを取り込んだりしたいので、その閉ざした関所を適度に開けたい訳です。


そこで、足の裏です。

土踏まずの辺りには、そういう関所があると思っています。

エネルギーの出入りを調整する弁のような働きと言いますか。

クライアントさんを施術するときも、全身状態を診てから早いうちに足の裏を擦ります。

いつも頭の中で、

「開門~。頼もう~。」

というイメージが浮かびます。

実際、脳内で言っていますね。

これから手当てさせていただくので、よろしくお願いしますという気持ちです。

整っていくにあたって必要なことを案内していただかなくてはなりません。


足の裏の弁が働くようになると、滞っていたものが流れ出します。

上ずった気もしっくり降りてきて、体も気持ちも安定してくる感じがします。

「地に足が着く」とは、こういう先にある状態なのでしょう。



セルフケアの方法です。

足首足の甲を片手で支えて、もう片方を猫の手にして、土踏まず辺りを擦ります。

力任せにグリグリする必要はありません。

ゆったり息を吐きながら擦ると、気持ちいいですよ。


ちなみに

「案内(あない)を頼もう~。」

と請うと、家人は

「どうれ。」

と答えていたそうです。

体は「どうれ。」と反応してくれたでしょうか?


くれぐれも、無条件開けっ放しにならないようにご注意を。

足の裏の門番さんには、必要に応じた開閉をお願いしましょう。

「大したことないやん。」

と言われて、ホッとするときと、悶々とするときがあります。

後になって思えば「大したことなかったのにな~。」ということ、これまでいっぱいありました。

でもその最中は深刻で、とてもそんな風には思えないんですよねぇ。



コロナにかかった友人が、

「全然大したことなかった。インフルエンザの方がきつい。」

と話していました。

大事なくてよかったし、人それぞれなのだなぁと思いました。


私も2年くらい前にコロナを経験しました。

私は、コロナの方がずっと大変でした。

インフルエンザも体中痛くて苦しいですが、薬もあって、数日すれば快方に向かいそうな予感があります。

でもコロナは、今までの病気とは違う得体の知れない感じがしました。

熱も軽くて、かかって数日は大したことないかなと思っていたのですが、だんだん肺の症状が出て咳が酷くなって。

肺が全面かさぶたになっているような感覚で、1ヶ月くらいは胸のガビガビが抜けませんでした。

スッとする香りのアロマオイルで、首から胸のマッサージなどしておりました。

味覚のバランスも変で、妙に塩辛いだけに感じたりしていましたね。

高齢の両親にうつすまいというプレッシャーもありました。


昔、交通事故に遭って体調が悪かったとき、知人にかけてもらった言葉をよく思い出します。

その方も色々な病気と共に暮らしてこられていて。

「あなたのきつさはあなたにしかわからないんだから、わがままと思わずにしっかり休なさい。」

とても救われた気持ちでホッとしました。


苦労をされた方は、声かけする際の想像力が豊かだなと感じることがあります。

渦中にあると視野が狭くなりがちです。

経験値不足もあったりすると、いきなり楽観的になることは難しいものです。

ヘタレな私は、一時期痛みに臥してみる、一度腹を立ててみる、そんなことも大切だなと思うのです。

そこから少しずつ折り合いをつけながら進むのが性に合っているようです。


病気も悩みも、傍からは計り知れないものがあります。

大したことかどうかは、その人、その時で変わるのではないでしょうか。

人の痛みを

「大したことないやん。」

と自分の尺度でバッサリ切るのではなく、

「大したことなかったよ。」

と笑ってくれるときが来るように応援したいと思います。