今日もほんわか

心と体のほんわか手当てをしています。

日常やケアを通して感じることを綴るブログです。

皆さまがご自分らしい元気で満ちますように。

堤 文子



2026.7.19SUN 浪夢スピリッツLIVE

半年かけて準備してきたプロジェクトが無事に終わりました。

浪夢(ロム)のリードボーカルで楽曲ほとんどの作詞を手掛けた吉永陽一郎が旅立って、もうすぐ3年になります。

メンバーそれぞれのバンドやユニットで音楽活動は続いていましたが、浪夢としての時は止まったままでした。

でも、限りある人生で一緒に過ごせる時間、ましてや音楽ができるなんて奇跡です。

宝物の浪夢ナンバーたちも響かせてやりたい。

「もう一度やろう!」

今年の初めにメンバーで話をし、2月から企画が動き始めました。


何せメインボーカルはお空の上ですし、闘病中のメンバーも居りますので、お仲間の力を借りることにしました。

浪夢のスピリットを歌い継いでくださるといいなという想いでお声かけしたら、素敵な仲間たちが賛同してくれて、出演者は15名になりました。

そして、音響・照明のプロフェッショナルたちが浪夢組の一員として企画から本番まで創り上げてくれました。


私は元々「ねば・べき」の強い性分なので、企画の立ち上げ当初は、ライブのコンセプトを一所懸命に伝えようとしていました。

でもだんだん、そんなことはそれぞれでいいんだと思うようになっていきました。

浪夢組の面々それぞれにライブにかける想いがあって、叶えたいこと、届けたいことが違っていい。

でも結局、その集合はビシッと1つに、愛に溢れていた気がします。


満席の会場はあたたかい空気に包まれて、

「お客さまも含め会場中が家族のようだった。」

と、血縁の家族が申しておりました。

猛暑の中ご来場いただき、本当にありがとうございました。

限られた練習期間のため、演奏側ではなくお客さま役をお願いしたミュージシャンもいらっしゃったのですが、とても良いライブだったと言葉をいただき、心底ホッとしました。


お客さまからいただく、いつにない程長文の感想。

まるで文化祭の打上げのようだった仲間たちの笑顔。

照れも誤魔化しもない真っ直ぐな「ありがとう」に涙が出ました。

プレイヤーとして聴きかえすと鍵盤も歌もMCも拙いですが、心を込めてありのままやりました。

私自身、今回のライブで遂げたかったいくつかのミッションは、全てクリアできたと思っています。


ライブ中にMCでも話しましたが、スピリットが集まってスピリッツになるとお酒の意味にもなるそうです。

カクテルのベースになったりするように、今回のライブがまた皆さんの味わいになっていってくれたら有難いなと思っています。

また楽しいことしましょう!


ライブ映像をYouTubeにアップしていただきました。

「浪夢スピリッツLIVE」で検索すると、1st Stage、2nd Stage出て来ます。

よろしければご覧ください。

押入れを整理していたら、昔々のだるま落としが出てきました。

懐かしくて、廊下に持ち出してやってみたのですが、何とヘタクソなことか。

子どもの頃はスコーン!スコーン!と簡単にやっていた気がするのですが。

乱暴にしたら家のどこそこ傷付けやしないかと遠慮がちになって、なかなか打ち抜くことができません。

何度か練習して、ようやく全制覇することができました。


肋骨のセルフケアをするのに、時々だるま落としの例えを使ってきました。

両脇に手を当てて、右から左、左から右へ、なるべく地面と水平に気を通します。

親指~人差し指のL字を使って、だるま落としの木のブロックを左に右に少しずつずらすようなイメージでするとコツを掴みやすい気がするのです。

脇からウエストに向かって1段1段、左右左右と揺らしながら下りていきます。

肋骨自体を押すのか、肋骨の間に気を通すのか、やりやすさと気持ち良さは人それぞれその時々だと思うので、まずはあまり厳密に考えずに。



だるま落としは、力を入れすぎず素早く水平に打ち抜くことが大切です。

体のケアも、表面に力をかけるのではなく、気が通って抜けた先を意識すると作用が変わります。

右から左に通すなら、体を通り抜けてくる気を左手に感じる意識をもつこと。


「何となく感じる気がする~。」と妄想しながらやってみてください。

「気のせいかなぁ?」はちゃんと本当に「気のせい(作用)」、誰もが持つハンドパワーです。

お嫌いな方はすみません。

先日、変わった蜘蛛の巣を見かけました。

検索してみると、ナガコガネグモの幼体ではないかと思います。

透明の網の中心に白いジグザグ模様があって、その中央にクモが止まっています。

あまり見慣れなくて、ちょっと驚きました。


白いジグザグ模様は、隠れ帯とか飾り糸と呼ばれるそうです。

専門用語では白帯。

そういえば、グニャグニャっと白いほつれが絡まったような巣を見ることがありますが、あれも白帯の一種なのだそうです。

失敗作かと思っていました。


隠れ帯の機能にはいろいろな説があります。

・自分の姿を隠す

・(紫外線光を反射させて)餌の昆虫をおびきよせる

・天敵の鳥が巣を壊すことを防ぐ

・装飾は網を安定させる

・より大きく見せ、クモを守る


クモによってそれぞれの目的で使っていることも考えられるので、はっきりしたことはわからないみたいですね。



人の在り方として、飾り立てるのも大きく見せるのもあまり好みではありませんが、いくらかの装飾は身を守るのだなぁと考えさせられました。

サッカーワールドカップ観戦で寝不足の方も多いのでは?

睡眠のリズムが狂うと、何だか頭もうまく回りませんね。


脳も含め、細胞は活動すると老廃物が出ます。

それをうまく排出することが、快調のカギ。

脳の周りは脳脊髄液で満たされています。

睡眠時、特に眠りの深いノンレム睡眠時に、脳脊髄液の流れが活性化して、多くの老廃物を流すことで、クリーンな脳を維持しているのだそうです。

加齢や認知症で、脳脊髄液の流れは悪くなります。

規則正しい睡眠をとること、血管をきれいにしておく生活習慣の大切さを感じます。


私も睡眠がよく取れない頃に、妙に言葉が出にいなぁと思ったことがあります。

脳に老廃物が蓄積していたのかもしれませんね。


どうぞ皆さん、よい睡眠を。

もうすぐ伯父の命日だなぁと思っていたところ、偶然、伯父との思い出に遭遇しました。


20代の頃、伯父夫妻にドライブに連れて行ってもらったとき、

「子どもたちが小さい頃、渋滞中の車のナンバープレートでよくやった。」

という数遊びを教わりました。

以来ときどきやってみるのですが、ルールをうろ覚えで確信がありません。

伯母に訊いても覚えていないと言うので、モヤッとしたまま30年。


それが、たまたま付けたテレビの数学番組で紹介されていたのです。

伯父から答えを送ってもらったような気分でした。



Make10(メイクテン)とか10パズル(テンパズル)と呼ばれるそうです。

ナンバープレートのような4つの数字と四則演算+-÷×とカッコを使って10を作るゲームです。

0が含まれず、4つとも異なる数字だと、必ず10を作れるのだそうです。


例えば、

「1234」・・・・・・・・・・ 1+2+3+4=10

「4875」・・・・・・・・・・ 4+8-7+5=10


各桁の数字を1回ずつ使えば良く、使う順番は入れ替わっても構わないので、解き方は何通りもあります。


5ー8÷4+7=10


なんてこともできますね。


少しレベルアップして、

「2367」・・・・・・・・・・ (7-6÷3)×2=10


ナンバープレートは次から次に出題されるので、なかなか良いトレーニングになります。

脳トレにいかがでしょうか。

くれぐれも安全運転で!

今年もやって来ました、袋がけシーズン。

巨峰を作っている姉のところで、この時期少しだけ農作業のお手伝いをします。


どの枝にどの房でどれくらいの粒残せば立派な巨峰が育つのか、素人にはなかなかわかりません。

プロが何段階もの作業をして選抜で残っている房に、私はほぼただただ袋をかけていきます。

袋をかけないと、鳥や虫や雨風でヤられてしまうのだそうです。


専用の袋に房を差し込むと、袋の口には針金がついていて、それをクルクルッと巻いて口をなるべくピタッと閉め、雨や虫が入らないようにします。

延々と地味な作業ですが、これで美味しい巨峰がお届けできると思うと頑張れるものです。


ロボットもAIも技術は進んでいきますが、フドウの袋がけマシンが出来る日は来るのでしょうか。

今のところイメージが湧きませんねぇ。


さて、路地ものの巨峰、食べごろは例年お盆くらいです。

無事に美味しく育ちますように。

いのちの主体は魂だと思っています。

魂を護るのが霊で、それらが肉体に宿って一体となっていのち。

生きている間は分かつことはできないでしょうし、あるのかないのか、どの面をどう呼ぶのか、解釈の正否を論じるのも意味がないかなと思っています。



この頃こんなことを考えました。


本来はとても優しいのに妙に攻撃的になることが多い人がいて、なぜかなぁと疑問でした。

憑依体質で怒りっぽくなる人もいますが、それとも違う気がします。

直感力や察知能力がとても強く、スキルも高い。

あぁ、この人はとても霊力が強いのだろうと思い至りました。


霊は魂を護るためにあるので、危機的場面や当たりの強い人に触発されると攻撃に転じます。

魂の意向が届かないくらい、反射的に攻撃に暴走してしまっているのかも・・・と考えたら腑に落ちました。

ハンマーで膝を叩くと足がポンと跳ね上がるように、筋肉の反射は脳を介さず不随意に起こります。

もしかしたらこの人も、不随意に霊力が発動しがちなのかもしれない。

でもそれは魂が望んでいることなのでしょうか。

ちゃんと魂主導になっているのかなと気がかりです。



霊力同士のバトルではなく、魂同士の対話の方がずっと発展的でワクワクすると思うのですがねぇ。

霊力のガードを解くのは勇気も胆力もいることですが、その奥の触れ合いを大切にしたいと思うのです。

それが「腹を割って話す」ということかもしれません。

NHK朝ドラ『風、薫る』の今週のタイトル、どういう意味かしらと思っていたところ、教えていただきました。


中国の故事に由来する言葉で、

「疾風(しっぷう)に勁草(けいそう)を知る」

激しい強風が吹いて初めて、それに負けない強い草が見分けられる。

転じて、困難や苦難に直面した時にこそ、その人の本当の意志の強さや人間的な価値がわかる、という意味で使われるそうです。



いい言葉だなぁと、朝からひとつ賢くなった気分で車を走らせました。

奇しくも今日は、台風の影響でかなり強い風。

私はこの風に飛ばされずにいられるかしら~などと考えていると、遠く前方の横断歩道あたりが変です。

道路の真ん中に大きなゴミ袋がいくつも散乱していました。

今日は資源ゴミの日。

プラスチック用の折り畳み式回収ボックスが、強風に煽られて根こそぎ吹っ飛んだ瞬間だったようです。

現場まで私の前方に車は無く、これは車を停めて拾うしかないなと思いながら、進んで行きました。


すると、横断歩道を渡ったばかりの小学生の女の子が2人、その大きなゴミ袋を集めてくれ始めました。

ゴミ捨てに来られた男性、通りがかった自転車の青年たち、次々に輪が拡がります。

私が現場に差し掛かるころには、ほとんどが片付いてしまいました。

結局、会釈だけしてその場を通り過ぎました。

ほんの数十秒の出来事でした。



「勁(けい)」は「勁(つよ)い」と読むそうです。

単に力が強いだけでなく、風雪に耐えて折れない草木のように「しなやかで、決して屈しない強さ」を表します。

誰の仕事とも言えない突発的なことに、サッと動いてくださった皆さん。

内から湧き出る勁さを見せてもらったような気がしました。

知人が五十肩で通院中とのことで、どのような運動指導を受けているか教えてもらいました。


コッドマン体操と言われるもので、振り子運動、振り子ストレッチなどとも呼ばれます。

痛む方の腕をだらんと下げ、腕を振り子のように前後左右に揺らしたり回転したりするというもの。

腕が脱力できるように上半身を傾けるのがコツですね。

そうすると重力と慣性の力に任せて、痛む関節に負担をかけずに可動域を広げることができます。



肩関節に現れる痛みと運動障害を肩関節周囲炎、通称五十肩と言います。

四十肩とも言いますが、起こる年代で呼び方を変えているだけで、医学的な違いはないそうです。

ヒトは胴体の幹に腕や脚がハマった構造をしているので、どうしても繋ぎ目にトラブルが起こりやすくなりますね。

肩関節と同じように、股関節の周囲が炎症を起こす五十股もこの頃取り上げられるようになりました。

それについてはまた後日。

昨夜2時頃、自室の網戸がガシャンと鳴りました。

風かな?と思ったのですが、その後もガシャガシャ音が続きます。

うちの猫が窓辺へダッシュして行きました。

「あ゛ぁ、なんか生きものか…?」

少し気味も悪いので、電気を点けずに恐る恐るカーテンを開けました。

目を凝らしても何だかわからず、携帯ライトで照らして探してみると、

「!?!!!」

コウモリでした。

エコーロケーションの使い手が、なぜ今そこに!?

窓を閉めてから数時間経っていますし、どのタイミングでどこから入り込んだのやら、ガラス窓と網戸の間に閉じ込められた状態です。

至近距離初対面のコウモリに、猫は大興奮。

記念撮影した後、反対側から網戸をそっと開けると、隙間から飛んでいきました。

ビックリしましたー。


コウモリにまつわる過去記事はこちら。

『見えないけれどあるもの』 https://honwaka.theblog.me/posts/18178156

筑後平野はお米と麦などの二毛作のところが多く、春にはあちこちが麦畑になります。

収穫間際の今頃、麦畑は一面金色になって、その上を風がサワサワと走って本当に美しいです。

この景色がまさに麦の秋、麦秋(ばくしゅう)。

稲穂より麦の穂は軽くて上向きのまま熟れるので、風に揺れるときも軽やかです。


お米が熟れる頃が本当の秋なので、麦の秋というのは借り物のような偽物感が混じっています。

一方で、秋というとどこか斜陽な雰囲気がありますが、麦秋の“秋”にはそれを感じません。

これから夏へ向かう上向きなエネルギーがあるからでしょうか。


こういうちょっと相反するような微妙なニュアンスの言葉の響きと、金色に輝く美しい風景とがリンクして、麦秋は私の好きな日本語第1位です。



10年前の今日、SNSにアップしていた写真が上がってきました。

どこで撮った写真か忘れてしまいましたが、こんなキャプションをつけていました。

「麦は頭を垂れないけれど、実りの感謝に揺れている。」

母と「孤独」について話しました。

両親を亡くされた知人がご兄弟とも折り合いが良くなく、天涯孤独のように暮らしているということからでした。


母「人は誰でも孤独よ。その孤独が大きいか小さいかの違いで。」


孤独が深いとか孤独感が強いとかではなく、大きい小さいという表現が独特だったので、どんなイメージで使ったのか訊ねました。


母「内に籠って自分の世界を狭めていく人は、孤独が大きい。交流や世界を広く持っていても、その人の中にも孤独はある。ただそっちの方が小さいというか・・・。」

私「自分の世界に占める割合のようなもの?」

母「そうね。でも、孤独を持つことは大切なこと。」

私「幸せな家族や仲間に囲まれていても、孤独と思えば孤独だもんね。逆にそれを大切にしないと、全てを共有し合って暮らすのはよろしくないこともあるよね。」


共依存になり過ぎないためにも、自分の中に孤独の領域を持つのは大切なことのように思います。



そんな話から、私が小さいときの思い出話になりました。

私は全く覚えていないのですが、小学4年生くらいだったろうと母は言います。

髪を切るとか切らないとか些細なことだったようなのですが、私が何かを相談したとき母が

「好きにしなさい。」

と言ったら、私が酷く泣いたのだそうです。

母に決めて欲しくて相談したのに、突き放されたような、ほったらかされたような気がしたのだろうと。

「そうじゃないよ。自分のことは自分で考えて決めるってことよ。」

と説明したら納得したそうで、

「お陰で今もあんたは人から決められるのが嫌いよね?」

と笑われました。



孤独について話せる相手がいるのは、有難いことですね。