今日もほんわか

心と体のほんわか手当てをしています。

日常やケアを通して感じることを綴るブログです。

皆さまがご自分らしい元気で満ちますように。

堤 文子



音楽の聴き方が変化してきた影響で、この頃はイントロ(前奏)無しや短い曲が増えたそうです。

スワップされる前にキャッチ―なところまで聴かせたいらしい。

歌から始まる曲も良いですが、やっぱり素敵なイントロにはワクワクしますね。

イントロ次第で、歌の沁み方も変わってきます。


少し前になりますが、音楽番組のイントロ特集で「2段階イントロ」について取り上げていました。

歌前のイントロが2種類、2段構えになっているものがあって、魅力を増しているという話。

確かにそういう曲ってありますね。

控えめなイントロが一回しあって、また別のイントロがあって、それから歌が始まるみたいな。


食いしん坊な私は、博多の専門店で食べる水炊きを思い出していました。

具材を煮る前にスープだけ湯呑についでいただいて、小ネギやお塩を少し足していただいて、それから具材を煮て鍋が始まるみたいな。

あのスープはまさにイントロではないですか。

家で鍋をするときはいきなり具沢山ドーンですから、初めて専門店に行ったときは驚きました。



人のアドバイスでも波状攻撃の効果ってありますね。


子どもの頃の想い出ですが・・・。

私はお箸の持ち方が変で、母に注意されてもされても直りませんでした。

持ち方はどうでも、使えているのだから別に困らないし。

幼稚園か小学校低学年だったと思うのですが、父の知り合いのお宅でご飯をいただいたことがありました。

その奥さまに

「あら、文ちゃんはお箸の持ち方が変ね。」

と言われました。

ただ一言、叱るでも笑うでもなく、優しくニュートラルな言い方だったのですが、何故かとても恥ずかしくなったのを覚えています。

その日から練習して、正しい持ち方をするようになりました。

母は、自分が何度言ってもダメだったのにと少し不服そうでもありましたが、結果が良くなるのなら何でもいいと喜んだように思います。

母のイントロがあってこそ、他所での出来事が沁みたのですから、母に感謝です。


アドバイスする側からすると、自分が関わった目の前で結果が見れるのは嬉しいですが、そういかないこともある訳で。

そんな時の自分はイントロみたいなもの。

歌に託した先のいつかどこかで花開いてくれたら喜ばしいことだなと思います。

水炊きの〆の雑炊の美味しさは、イントロから育てられてきたスープがあってこそ。

ケアを受けながらウトウトしていらっしゃる方の体が、無意識に動くことがあります。

入眠時特有のピクっもありますが、手や足を伸ばしたりねじったり、手を振ったり払いのけるような動きだったり。

要らないものを排出したり、バランスをとったりする、自動調整の運動だろうと思います。


そんな動きを見ながら、先日ふと、自閉症に特徴的な動きを連想しました。

体を揺らしたり歩き回ったり飛び跳ねたり、音を発したり言葉を繰り返したり、指を動かしたり…。

スティミング(自己刺激行動、常同行動)というそうです。

繰り返して行うことで、感覚や感情的環境を調整していると考えられています。

感覚にインプットを与えることで、ストレスや不安を軽減し、不快を発散したりエネルギーを放出したり、逆にエネルギーを呼び起こしたり感覚を冴えさせたり、バランスを保つ色々な効用があるのでしょう。


発達障害にかかわらず、スティミングは起こります。

貧乏ゆすり、ペン回し、爪を噛んだり、髪の毛をクルクルしたり、手遊びしたり。

心当たりはありませんか?

誰もが自覚なくやっていることにも、スティミング的な面があるのかもしれませんね。

それをしていると落ち着くとか、アイディアがひらめくとか、退屈だとやってしまう癖とか。

個人的には、ウォーミングアップのルーチンにも、これに通じるものを感じます。


昭和の子ども時代は「お行儀が悪い」と止められましたが、今は無理に止めなくてもいいという見方もあるようです。

ただ、他人や自分を傷つけないことや、行為自体を楽しんで集中力を欠いてしまわないようになど、注意は必要です。



ケア中の運動は、必要な調整が済むとスッと終わります。

あの無意識の動きは、ご自身のものか昔の癖の現れか、はたまた前世の癖や守護霊さんの癖だったかも…なんてボンヤリ妄想しました。

昔なぜあんなことをしていたんだろう、時々出るこれは何だろうとか考えてみると、もしかしたら自分や大切な方を受け入れる手掛かりになるかもしれませんね。


意識的にプラプラしたり反復行動をするのも、ストレス発散に良いと思います。

参考過去記事 『「イヤイヤ」体操』

この頃自分の写真を見て、姿勢が悪いなぁと反省。

顎が落ちて、背中が丸まって、肩が上がって、亀さんのように首が埋もれて…。

無意識のうちに首の傷をかばっているせいもあるのでしょうが、スマホの使い過ぎと我が身のケア不足ですねぇ。


クライアントさんのケアをしていても、時々「亀さん」に出会います。

運動不足とか加齢とか姿勢とかストレートネックが〜とか、肉体的な原因はもちろんあるかと思います。

でも体の問題だけではなく、心配や恐怖のようなものを抱えていらっしゃるのでは?と伝わってくることがあります。

甲羅の中に首が逃げ込んだ状態、それでも頑張って身を固くしている状態を「亀さん」と感じてしまいます。



感情が体を歪めるなら、体が心を救うこともあるはず。


埋もれ首解消の体操などいかがでしょうか。

色々なアプローチがありましょうが、例えば今日は、腕をねじる体操など。


足を肩幅くらいに開いて立ちます。

両腕を真横に伸ばして、左右逆方向に捻ります。

右手のひらは小指の方へ、左手のひらは親指の方へ回転させる、といった風です。

そしてその反対向きに…と交互に回します。

これを20〜30回程。

最初は手首から回る感じですが、たんだん動いてきたら肘まで、そして肩まで、胸や腰が連動するように全身使って動いてみてください。

息を詰めずに、しっかり呼吸しながら。



動きに集中している間は、悩みを忘れます。

体がほぐれると、心もほんわかなります。

縮こまった亀さんの首がスッキリ伸びて、物事も好転すると良いですね。

リハビリ経験のある方、ご家族がなさっている方もいらっしゃると思います。

「リハビリテーション」はラテン語の「re(再び) - habilis(適した)」から来ているそうです。

リハビリというと、病気やケガによってダメージを受けた身体を訓練して、日常生活が送れるようにであったり、社会復帰を目指したりというイメージがあります。

でも、元々は

リハビリテーションとは何らかの原因によって人間らしく社会生活をできなくなった人がその人が培った名誉を取り戻し、再び人間らしく生きる権利を回復することを意味する言葉なのです。
(熊本保健科学大学ホームページより)

だそうです。

単に身体を戻すだけではなく、心の状態も、社会生活における周囲との関係性も大切なのですね。

また、日常生活が送れることにプラスして、仕事に直結する特殊な能力や趣味や暮らしを豊かにする機能を取り戻せるかどうかは、QOL(人生の質)を大きく左右すると思います。



かくいう私も歌声リハビリ中です。

(3月に甲状腺全摘の『手術を受けました』

有難いことに、日常生活で喋るには不自由ありません。

手術創は強く押さえない限り痛みもなくなりましたし、首もほとんど制限なく動かせるようになりました。

でもまだ、高い声や強い声は出にくい状態です。


術後約2週間で退院したときには、傷口は繋がっているものの、首の中は修復されきっていない感じでした。

術後1ヶ月くらいすると、傷口近くの内側が時々ジクジクッと痛むようになりました。

癒着していた皮膚が独立して動き始めたのかなという感覚。

術後2ヶ月近くなり、このところ喉ぼとけに圧迫感を感じることが増えています。

手術後は頚部の筋肉の癒着などで喉ぼとけに可動制限が生じるらしく、それがほどけ始めたから感じる違和感なのかなと思っています。

病院ではリハビリ指導やアドバイスしてくださる療法士さんもいらっしゃらないので、解釈もリハビリも我流で直感頼りです。



「回復」には人それぞれ、数ヶ月か数年かそれとも・・・。

歌えるようになるのか、気が重くなることもあります。

リハビリで機能を「回復」するというより、子どもが歌を覚えるように、新しい能力を「獲得」していくと思った方が楽しいかもしれませんね。

ケガから復帰していかれるプロアスリートって、本当に凄いなぁと感じる今日この頃です。

この頃、反省したことがありました。

ケアのクライアントさんとではない、日常の場面でのこと。

理不尽な人間関係に悩む女性の話を聴きながら、

「そっか~。うん。わかった。受け取った。」

と答えていたら、

「受け取って欲しくなんかない。最後まで一緒に怒って欲しい。」

と言われました。

私としては受容と承認の最大限のつもりだったのですが。


あなたが言っていることも、あなたの大変さもわかった。

あなたが頑張っていることも見ているよ。

あなたの怒りを私の怒りとして同調はしないけれど、あなたの気持ちは聴くよ。


そんなスタンスは、この人には通じないのか~と思いました。

でも、日が経ってみて思い返すと、私の中に「早く話を打ち切ろう」とする気持ちもあったのでしょうね。

彼女にしてみればスカされた感じで、モヤモヤさせてしまったのかもしれません。



やり場のない気持ちを誰かに話して共有してもらうと、楽になることがあります。

私も、いろんな人に話を聴いてもらって救われています。

ありがたいです。

でもほとんどの場合が、解決策やアドバイスを求めている訳ではない気がします。

話しているうちに自分で自分の気持ちに整理をつけて、答えを出していく。

すぐに解消できることもあるし、長い時間と過程が必要なことも、解決しようのないこともあります。


今はこうやって書くことで、頭の中を整理しています。

事情や関係性によりますが、当事者でもないのに一緒になって怒って文句を言うのはどうかと思うんですよね。

怒りに餌を与えることになりかねない。

しかも、一緒に怒ってしまうとそれは私のことになって、解決しようと動き始めずには居られなくなるんだよなぁ。


相手が求めているものと、私のタイプの不一致と言ってしまえばそれまでですが。

悩みや愚痴を聴くって、難しいですねぇ。

何を載せようかとフリー写真素材サイトで「女子会 カフェ 傾聴」と検索したら、1番にこの写真をすすめられて笑いました。

ディズニー・アニメに出てくるケアロボット、ベイマックス。

ふわふわで優しくて戦闘意識はゼロ、傷ついた人の心とカラダを守ることをプログラムされています。


あったか〜い友人がいます。

彼女が前に体調を崩してレントゲンを撮ったとき、

「自分のレントゲン画像のシルエットがベイマックスのようだった。」

と、笑いながら話してくれたことがありました。

以来、彼女は私のベイマックスになりました。

私が手術することを知ったときも、優しく励まして送り出してくれました。


今回入院したとき、病院まで姉に車で送ってもらったのですが、駐車場で姉が停めた目の前の車のフロントミラーにベイマックスのマスコットが下がっていました。

その友人が応援してくれている気がして勇気が湧きました。

気持ちって、そんな形を借りて伝わるものですね。



何かを見て元気や勇気が出たり、何かを思いとどまったり、ひらめいたり…。

偶然をよそおって、何かの形を借りたりして、私たちの周りは誰かからの応援やヒントに満ちている気がします。

入院前、手術を経験したことがある方から、

「3日頑張って!3日我慢すれば楽になるからね。」

と聴いていました。

言われた通り本当に、3日過ぎた頃から随分楽になりました。

とはいえ、寝返りもうてない、寝起きも頭を手で支えつつ。

上を向けないので、飲みものはストローで、うがいも目薬も厳しい。

今回私は首でしたが、動かせなくなって初めて、こんなに使って暮らしているのだなぁと実感するものですね。

でも、日に日に出来ることが増えていくのは楽しみでした。


動けるようになってからは「お散歩の勧め」が処方され、体力づくりのためせっせと歩きました。

病院食はローカロリーながらとても美味しくて、こんなに食材何もかもが高騰している中、スタッフの皆さんのご尽力に頭が下がりました。

きちんと食べて、運動して、瞑想して、メンテナンスして…、自分の回復だけに専念する日々はまさにリトリート。

有り難い環境でした。


お陰さまでほぼ見込み通り退院でき、その後もおおむね順調です。

退院数日後、点滴痕が突然内出血して血管痛を起こしたりしたので、動き過ぎないように目印だなと思って気をつけています。



それにしても、切羽詰まった状況にあると、普段経験しないことや気付かないミラクルに遭遇します。


前回書いたセルフケアも、普段なら自分には発動しないレベルでパワーを発揮しました。


術後4~5日目のこと。

自宅から、父の風邪がぶり返していよいよ介護状態に入ったとの連絡がありました。

こんなに痛くて動けないのに、退院して介護をしながら仕事なんか出来るのか…。

不安で苦しくなっていたら、なんと同室の方が介護の学校の先生で、ご主人は我が家の近くでケアマネジャーをなさっているという奇跡!

「大丈夫、大丈夫〜。いろんな制度があるんだから、心配しなくていいですよー。」

と仰っていただいて、本当に救われました。

このご縁、退院してから父や家のことで、お世話になることになります。


一番驚かされたのは、入院のこの機会にスマホのデータ整理でもしようかとしたとき。

写真データを開くと、バンドでも病院勤めでもお世話になり、一昨年脳腫瘍で亡くなった先生の写真が突然ポンと上がってきました。

録音データを古い方から…と思って遡っていくと、5年前に胃ガンで亡くなったケアの師匠の講義録音に行きつきました。

お2人の存在と応援を強く感じて、

「ガンのその先を生きて楽しんでおいで。」

と言われているようで涙が出ました。


世界は繋がっているのだな、必要な縁にはちゃんと恵まれるのだな、心配しなくていいんだなと、ありありと感じました。



今回で手術シリーズは終わりです。

ブログへのお付き合いも、お見舞いや退院祝いのお言葉や頂きものも、本当に本当にありがとうございました。

病気は、

「あなたが大切。大好き。ありがとう。」

を表現し合える機会でもあるのですね。


入院中も、退院後環境を変え整えたケア部屋を見渡してみても、

「あの方に頂いた◯◯」

「あの方の教えの◯◯」

「お見舞いで買わせて頂いた◯◯」

そんなことばかりで、私はみんなで出来ているのだなぁとつくづく思います。

私もこうして誰かの一部になって、助けや支えになれているだろうか。

なっていけたら嬉しいです。


病気に限らず、出遭うことも過ごし方も皆さんそれぞれでしょう。

お話できるのはアドバイスではなく経験談でしかない気がします。

簡単にいかないことも辛い結果も時間が必要なこともいろいろあるけれど、振り返ってみて

「ご褒美に溢れているなぁ。」

と思えたら素敵だなと願います。


感謝をこめて。

入院直前に父が風邪をこじらせてしまい、どうなることやら気を揉み奔走しましたが、とにかく天と母と姉に託して病院に入りました。

物心ついて初めての入院です。

外科的手術なので、おおよその入院期間も見えていて、旅行のような気分です。


翌日の手術に備えての検査に、ご飯にお風呂。

スタッフの皆さんも親切で、何より病院食が美味しくて嬉しい。

お風呂もゆったり浴槽に浸かれて、こんな贅沢をしてていいのかしらと思うくらいです。

とはいえ、術後数日はシャワーすら使えないので、1つ1つ最後のお楽しみ感があります。



ゆっくり眠って手術当日。

下剤を飲んで出すものを出して、点滴をしつつ、立ち会ってくれる姉と面会して、手術室へ運ばれました。


手術台に移され、色々な装置を付けられ、頭の上から麻酔の先生の声がします。

左手の甲に刺してある点滴から、麻酔が入ってくるそうです。

麻酔医「じゃぁ麻酔が入ってきまーす。入るときどうしても痛いですからね〜。」

あいたたたたた…、本当に結構痛いんですねぇ。

痛みが手の甲から手首、肘に向かって広がって、血管が網目状なのが痛みで解ります。

麻酔医「堤さ〜ん。」

私「はーい。」

麻酔医「何回か呼びますからね〜。」

麻酔の痛みが二の腕から脇目掛けて上がってきます。

麻酔医「堤さ〜ん。」

私「(はーい。)」

答えたつもりが、声になりません。

スタッフ「終わりましたよー。」

と同時に、顎を思いっっっきり殴られたような激痛と、首を絞めて地面に押し付けられているような苦しさに襲われました。

声にならないはずです、口にはまだ管が入っていて、

スタッフ「痰、吸引します。管、抜きまーす。もう1回痰吸引しますね〜。」

もう訳がわかりません。

そっか、手術終わったのか。


手術台の横にはICU用ベッドが迎えに来ていて、そこに移されて手術室を出ると、オペ看護師さんから担当看護師さんに引き渡されます。

担当看護師さんはこの病院に来て間もないらしく、なんだか指導されている会話が聞こえます。

オペ看さん「◯◯入ってなかったよ。」

担当さん「ぁ・・・、すみません。」

何だ?何が入っていなかったんだ?

気になりますが、尋ねる元気はありません。


ICUに運び込まれてしばらく経ったでしょうか、先生が来られて、手術は無事に終わったよと教えてくださいました。

私「ありがとうございました。…わぁ、先生!声が出る!!ありがとうございます!!!」

その後、姉が面会に入って来て言葉を交わすと、泣きながら喜んでくれました。

甲状腺全摘なので、手術には3〜4時間かかるかもと聞いていましたが、姉によると2時間くらいで終わったそうです。

面会用のガウンを着たままICUを出て帰ろうとしている姉の気配に、相変わらずヤらかすなぁと苦笑いしつつ、長い夜が始まりました。



全身麻酔で挿管した後は、とんでもなく痰が出るのですね。

普通なら咳払いで出すことができますが、何せ喉は激痛です。

痰を出すのも、ティッシュを取るのも苦労です。

元々耳鼻咽喉科系が弱いので、喉の痛みはお馴染みの扁桃炎の超絶酷いときのような感じ。

首元を切って力が入れられないので、頭を支えられなくて、頭は枕にめり込むような鈍痛です。

予想外に痛かったのは顎。

最初は傷のせいかと思ったのですが、たぶん、挿管されて口を開けっぱなしだったからかなぁと推察。

それプラス、全身麻酔から醒めていくときの体の痛みがあちこち時間差で現れます。

脚、腰、肋骨も酷かったなぁ。


術前術後の心得として、自律神経が整うよう腹式呼吸の指導がありました。

呼吸法なら慣れたものです。

いつものセルフケアで、動ける範囲は体をさすり調整しながら、動かせないところは呼吸でどうにか。

患部を扇いでみましたが、ここまで痛いと扇ぐ程度の気でも激し過ぎました。

手をかざすだけでも、圧迫感を感じます。

究極に傷んだときだからこそ体験できることです。

扇いだり手をかざしたりもやっぱり効いているんだと、まるで人体実験です。

なんとか痛みを逃しながらうつらうつらして、長い一晩を越えることができました。

自分のケアがこんなに役立つものとは、驚きました。

心得があって良かったなぁとしみじみです。


朝になって、ベッドを少しずつ段階的に慣らしながら起こしてもらいます。

ダイビングで深い海から上がってくるとき、少しずつ深度を上げて、圧力に慣らしながら浮上する「減圧停止」みたいな気分です。

ようやく直角くらいまで起きて、水面に浮上してホッとしたような気持ちになったら、朝ご飯が運ばれて来ました。

入院説明の資料で、手術の翌朝からお粥と書いてあったので、もう口から食べるのか?重湯かなと思いきや、どんぶりいっぱいの五分粥と、カボチャの煮物とお麩の味噌汁と冷奴と牛乳(だったかな)。

食えるかーっ!

元気な日常でも、朝からこんなに食べません。

でもほらこの病院のお食事美味しいので、必死に飲み込める分を少しだけいただきました。

面会に来てくれた家族と会って、尿道の管が抜けて、お昼前には自力で歩いて一般病室に戻りました。



後から他の患者さんたちに訊いたら、皆さん麻酔から起こされたのはICUで諸々整った後だったと。

なぜ私だけ管を咥えたまま起こされた?

疑問です。

苦しかったけど、お陰でオマケ体験までできたので、少し得した気分ではあります。


つづく。

前回『手術を受けました』のつづき。


ガン告知も甲状腺全摘手術することも、淡々と受け止めました。

我ながら、まぁまぁ肝が据わっているようです。

あとは粛々と治療するだけだし、この体験を味わうこと、その先に何があるのかを楽しもう。

そんな風に思いながら、告知のその場で主治医の先生と手術日を相談しました。

先生のスケジュールで、最短で2ヶ月半後の手術日を提案してもらいましたが、そこだと祝日を挟んで術前入院が長くなります。

姉が手伝いに来てくれるとはいえ、高齢の両親だけ自宅に残すことになるので、少しでも入院が短い方が助かると思い、約3ヶ月後の日程に決めて帰って来ました。



元々自覚症状も何も無かったので、知識としては、甲状腺って喉の辺りにあって、成長や代謝に関わっているらしいという程度でした。

それが不思議なもので、病名がついた途端、甲状腺と腫瘍が輪郭を持つようになりました。

細胞を調べるために針を刺したので、「ここ」という場所がわかります。

つい意識が向いてしまい、触れたり動いたりするのがためらわれ、緊張状態から首肩周りがカチカチになってしまいました。

普段ならケアで流すのですが、下手に刺激すると悪化したり悪いものが流れ飛んだりするのではないかと思うと不安になったりして。

実際、告知から1ヶ月半くらいは、甲状腺から耳下腺まで腫れぼったく、頭が重くすぐ眠くなって起きていられない時期がありました。


手術を延ばして大丈夫だったのか?

全摘しか手段はないのか?

自分でもつい考えてしまいます。


良かれと思って色んな方が色んなことを言ってきます。

「ガンには〇〇がいいらしいよ。」

有り難いです。

善意です。

でも、あくまで私自身の精神状態として、「それを飲まないと悪い結果になる」ような考えに陥りそうで、負担に感じることもありました。


スピリチュアル的に喉や甲状腺の病気の意味を解説してくれる人もいます。

「我慢してた?」

「自由に言いたいこと言った方がいいよ。」

我慢せずに生きてる人なんているんでしょうか?

言いたいことを自由に言って、私の毒気で誰かを憤死させるより、言わないことを選ぶことだってある訳です。

生き方を責められている気持ちになりました。


手術がどれ程痛いかを教えてくれる人もいます。

もう脅しです。


極めつきは、老老介護の母の愚痴がのしかかってきます。

「ごめんけど私、今それどころじゃない。自分のことでいっぱいいっぱいやん。」

そうキレてしまったこともありました。



物質的な面と生活習慣は、基本的には今まで通り暮らすことにしました。

1つ積極的に摂ったのは、自分が長年扱ってきたサプリメントの中のカテキン。

しっかり摂るようになったら、リンパの腫れも落ち着いてきました(個人的な感想です)。

リンパの腫れは体を守ろうとしてくれている心強い反応なんだ、体に感謝だわと思えるようになって、気持ちも落ち着きました。

散歩する気分にもなれて、腕を振って歩くと首肩こりも少しほぐれてきました。

あと、手術が近くなって出会ったナノバブル活性水素水(水素マイナスイオンの水)も支えになりました。


役に立つ物質(食品やサプリメントや水など)や療法は、本当に人それぞれだと思います。

一番の要は、どんな心持ちで過ごせるか。

それしかない気がします。



頭ではわかっていても、「そこ」に至るには期間が必要です。

私の場合、不安の波が来ているときに一方的に励ましたり諭されたりするのが結構辛かったです。

その人自身の不安を解消したいために、「大丈夫よ、大丈夫よ。」と繰り返されるのも重い。

そんなこと分かっているし、大半の時間そういう気持ちで居るつもりなのですが、ネガティブな波もやって来るし、手術や術後の痛みへの恐怖もある訳で。

それはそれとして認めて味わわないと、先には進めないのです。

不安なときは、一旦不安なままでいいと思います。

少し浮上する兆しをキャッチしてそっと後押ししてもらうと、涙が出るほど嬉しかったです。


心が病気を作ると言われます。

私もそう思ってきたし、そんなことを書いたり伝えたりもしてきました。

でも、自分がガンになってみて思いました。

「クソ喰らえ。」

大事に使っているものでも、壊れるときは壊れる。

病気の原因を、方程式のように生き方に意味付けされてたまるもんか。

自分自身、なんて乱暴で一元的な考え方をしてきたんだろうと猛省しました。

傷付けてしまった人もいたかもしれません。


病気をきっかけに見直すことはあると思います。

確かにメッセージかもしれない。

でも、それで今までの人生を否定するような気持ちになる必要はないし、ましてや人からどうこう言われることでもない。

まぁ、こんな頑固さが病気を作るのだよと言われればそれまでですがね。

行き着いたところ、これはステージアップのための贈りものだと思えるようになりました。

そんな心境になるには、人から言われても本を読んでもダメなんです。

自分に必要な分もがいて、辿り着いて初めて自分のものになるのでしょう。



そんなこんなを乗り越えて、入院日を迎えることになります。

つづく。

昨年末、甲状腺にガンが見つかり、3/13(木)に甲状腺の全摘手術を受け、今日無事に退院しました。

ひとまず順調に日に日に回復しております。


昨年11月に受けた人間ドックで甲状腺の萎縮(橋本病)と腫瘍が見つかり、12月に精密検査を受けました。

甲状腺は首の前面にある蝶の形をした臓器で、代謝や成長に関わるホルモンを分泌する器官です。

橋本病は原因未解明の自己免疫疾患で、これがあると甲状腺が慢性炎症状態になって、出来ものができやすいそうです。

私の腫瘍は甲状腺の左右両方にあったらしく、右はほぼほぼ悪性、左も同様に悪性の可能性が高いということで全摘手術を決めました。

説明を聴いたときも割と淡々としていて、「ガーン!」とまではきませんでした。

後は粛々と治療を受けるだけだなと。

ただ、甲状腺の真裏を声帯の神経が通っているので、手術の状況では神経に麻痺が出て、一時的かずっとか、声枯れ、声変わり、最悪声が出なくなるリスクもあるとのこと。

私「えー、先生、私、歌うんですけど・・・。」

主治医「う〜ん、今のキーは出なくなるかもなぁ。変わらず歌えてる人もいるけどねぇ。」

低くなろうが枯れようが、その時はその声で出来る音楽をすればいいし、鍵盤だって他の楽器だってあるし、ケアは話さなくても出来るし、コミュニケーションの方法はいろいろあるし。

でも歌えなくなるのは淋しいなぁと思ったのは、自分でも結構意外でした。

成り行きでボーカルをするようになった気分のままでしたが、自分の中で大きな部分を占めるようになっていたのだなぁと知りました。


とにかく、自覚症状もありませんでしたし、コッポリ取れるところに出来ているし、術後の治療も確立しているし、見つかってよかった、(他の方と比べてではなく、自分の体験することとして)恵まれたなぁと思いました。

「淡々と、粛々と」を心掛けて過ごしたものの、不安定になることもあって、いろんな方たちに支えていただきました。

楽観しながらも覚悟はして臨んだ手術は無事成功、お陰で声も失わずに済みました。

ありがたいです。



これまで共に過ごしてきた甲状腺さんが居なくなったので、助っ人甲状腺ホルモン剤さんと共に暮らしていくことになります。

どれくらい補充(朝1回錠剤を飲みます)していくのか、時々血液検査をしながら量を調整していくそうです。

甲状腺を大きく取ると起こりがちな低カルシウム血症で若干の手のしびれ等が出ましたが、もうほとんど落ち着いて、きっとハンドパワー増し増しに違いないと個人的には思っています。

声は、喋る分には不自由ありません。

歌うとなると、まだ声帯の振動も不安定で、高い声は出ませんねぇ。

どこまでどんな風に歌えるようになるか、これからが楽しみです。


新しいフォーメーションに折り合いをつけながら、少しずつ慣らしていくつもりです。

たくさんの応援、サポート、本当に感謝しています。

愛をいっぱいお返ししながら生きていきたいと思っています。

これからもよろしくお願いします。

母が膝を人工関節にする手術を受けた後、杖を手放せない時期がありました。

転ばないようにが1番ですが、周りの方々が気を配ってくださる副効用を感じました。

関節の不具合は外目にはわかりませんが、杖を持った人がいると「ぶつからないように」とか「大丈夫かな?」と見守り気遣ってくださいます。

ありがたかったです。



自治体が配布している「ヘルプマーク」や「ヘルプカード」というものがあります。

外見からは分からなくても援助や配慮を必要としている人が、周囲にそのことを知らせるためのマークとカードです。

目や耳、言語の障害、内部障害や難病、知的障害、精神障害、認知症、義足や人工関節、妊娠初期の方など…。

ヘルプマークを身に着けた方を見かけた場合は、電車・バス内で席を譲る、困っているようであれば声をかけるなど、思いやりのある行動を促すものです。


マークに頼らずお互い配慮や援助し合うのが理想ですが、援助を求めにくいとき、声をかけていいか迷うとき、コミュニケーションの助けになるのはいいですね。

何年かぶりに大河ドラマを観ています。

『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』

江戸のメディア王と呼ばれた蔦重(つたじゅう)こと蔦屋重三郎が、出版の世界で成り上がる波乱万丈の物語。

大河ドラマを面白いなぁと思うのは久しぶりです。


蔦重は平賀源内から版元の名前『耕書堂』をもらいます。

「書を持って世を耕す」ように、と。

「耕す」っていいなぁと思いました。



日本を代表する精神科医、中井久夫先生の言葉に「病棟を耕す」という表現がありました。

診察室で患者を診るだけでなく、病棟に入ってすれ違う患者さんに挨拶したり言葉を交わしたりすることの大切さを仰っていたと思います。


すれ違う子どもが挨拶してくれたり、買物先の店員さんの応対が清々しかったりすると、心がほっこりします。

そういうことで心や環境が耕されていくのでしょうね。

短絡的に言うのは難しいですが、それが防犯や売上アップに繋がっていく気がします。



私も、ケアを受けてくださる方、ケア教室のお仲間と色々たくさんお話をします。

ケアとは関係なさそうにも見えることでも、そんな時間でお互い心を耕しているのだなぁと感じます。

心がほぐれてくるとケアの波動も深く染みて、体も耕されやすいです。

ほこほこに耕された心と体には、自分らしい元気が湧いてきます。

ほこほこの土壌で居ることをただ味わうのもいい、自分らしい植物を育てるのもいい。

イメージするだけで、なんだかほっこりワクワクします。


少しずつ地道に、耕すことを楽しんでいきたいです。