雰囲気
大好きな画家、髙島野十郎の没後50年回顧展(福岡県立美術館)を観てきました。
野十郎は『蝋燭』『月』『からすうり』などの作品で知られる久留米出身の画家です。
画壇に属さず、晴耕雨描の暮らしを送り、世に評価されるようになったのは亡くなった後でした。
会場にあった年表で確認すると、私が野十郎に出会ったのは大学1年だったようです。
一目で大好きになり、以来何度も展覧会に行っては隅々まで観て浸って帰ってきます。
花や木、月や太陽、風景や静物・・・、野十郎の絵からはそのモノが放っている気が見えるようです。
纏っている雰囲気まで描き込まれているのだと思います。
雰囲気というと、今では
その場や人、物から自然に感じられる気分やムード、周囲に与える印象を指す言葉
になっていますが、元々は
天体、特に地球を取り巻く気体を意味する言葉
だったそうです。
野十郎と交流のあった画家、岸田劉生の作品解説の中に
劉生は、深く写実を追求することで不思議なイメージ、すなわち神秘に達すると考えた。
とありました。
野十郎の写実は、物質として見えるモノだけではなく、それが発し纏う空気まで描き込まれているので、その神秘が波動としてこちらに伝わってくるのだなぁと感じました。
目に見えるのは物質化した部分かもしれませんが、きっと、それが纏う雰囲気まで含めてが“そのモノ”。
人も、肉体が境界ではなく、纏う雰囲気まで含めて“その人”。
そこまで観察する姿勢の大切さを感じた今日でした。
自分が作り出す雰囲気の影響は大きいものです。
グッド・バイブレーションで居たいですね。
『月』
月夜の風景は、これまでにも多くの画家が手掛けているが、本作のように月のみを描く作品は類例がほとんどなく、野十郎芸術を象徴する特異な作品群となっている。画面には、闇のなかの満月が描かれているが、野十郎によると、月そのものではなくむしろその対極にある闇を描きたかったのだという。闇を描くという困難かつ矛盾した挑戦は、野十郎が生涯にわたって追求し続けてきた写実の極致の姿といえるだろう。
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