空っぽの先
実は、空手をしていた時期があります。
30歳頃の数年間。
たまたま知人に無理やり引き込まれただけだったのですが、やり始めたら楽しくて、かなり真剣にやりました。
空手の先生は気功も操られる方でした。
階段を踏み外して向こう脛を打ったら、階段の方が欠けたと笑っておられましたが、とにかく全身が鍛え上げられたツワモノで。
「どうやったら気が出るようになるんですか?」
と尋ねたことがあります。
コテコテの佐賀弁で、
「一回ぶっ倒るっまでやったらずっ。」
※ずっ=出る
トレーニングや試合で力を使い果たして、一度ぶっ倒れるまでの経験をしたら出るよ、と仰いました。
今日久しぶりの4人連続ケアをしながら、この話を思い出していました。
以前ならエネルギーが持つか気がかりだったところ。
この頃は、我力が尽きた先にどんなエネルギーが出るのか楽しみになりました。
エゴが入らない手当てを心掛けていますが、元気な間はどうしてもあぁしてあげたいこうしてあげたいと浮かんでしまいます。
それは要らん世話なのです。
でも、自分のタンクが空になってくると、天地や自然から受け取るものと真心から湧くものがダイレクトに伝わるような気がします。
だからこそ嘘はつけない厳しさがある。
ヘロヘロになったときに自分を取り繕うのは難しいですよね。
むき出しの自分は何を受け取り、どんなものが湧く心の在り様をしているのでしょうか。
空っぽの先に湧くものが、愛に溢れていますように。
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