こころを耕す
よく通る道沿いのお寺に、
「こころ耕す なむあみだぶつ」
という書が掛かっていました。
後段は宗派信条でそれぞれでしょうが、「こころ耕す」って大切だなぁと感じました。
ちょうど今、筑後~佐賀平野は麦の刈り取りが済み、稲作に備えてあちこちで土を耕しています。
麦畑から水田へ、平野の景色が変わってく準備期間。
おじいちゃんの耕運機の後ろをサギが虫をついばみながら付いて歩いていたりして、何ともほのぼのします。
疲弊して硬くなった土では、次の作物は良く育たないのでしょう。
毎回ああして耕して、土を豊かに整え直した先に、いのちは育って実るのですね。
「雑草という草はありません」が、栽培目的がある場合は、それ以外の植物は雑草と呼ばれます。
雑草を表面的に抜いても、根は残り、また生えてきます。
もし、根まで深く漉き込むことが出来たら、それは肥料になって次の実りに繋がるでしょう。
同じように、意図や目的にそぐわない思考や感情を雑念と呼ぶならば・・・
雑念を表面的に振り払っても、また湧いてきます。
どうしたらそれを深く漉き込んで、こころの栄養にすることが出来るのでしょうね。
人生の様々な局面を乗り越えて来られた方は、とても魅力的です。
きっと、あれやこれやにこころ揺さぶられ揉まれ耕され、いろんな想いを栄養に変えて来られているからなのでしょう。
宗教や哲学だけでなく、絵画や音楽や文芸・芸能など表現したり鑑賞したり、映画、読書、スポーツ、料理、植物、ペット、お喋り・・・いろんなことで、こころは耕せるはずです。
私は、歌ったり演奏したり、人と触れ合ったり、こうして書いたり・・・でしょうか。
こころが疲弊して硬くならないように、大切に耕しながら、ホクホクのこころでいたいですね。
0コメント