信号待ちの縁
数日前、車の運転中のことです。
2台目で信号待ちをしていたのですが、青になっても前の車が発進しません。
控えめにクラクションを鳴らしてみましたが動かず。
もう一度鳴らしてみても動かず。
前の車のミラーを覗くと、運転席の人がヘッドレストにガックリもたれています。
ありゃりゃ!?
車を降り行って窓をノックすると、ハッと我に返った男性。
片手を挙げて走って行きました。
具合が悪くて意識を無くしていた訳でなくて、まずはホッとしました。
でも、ドライブに入れたままブレーキを踏んで寝ていたのだったら…。
事故が起こらなくて本当に良かったです。
信号待ちといえば、もう1つ。
自転車通学していた高校の帰り道。
学校を出て間もない交差点で信号を待っていると、横のオジサンに突然
「あんた、そげな顔して帰りよったら事故に遭うよ。」
と言われました。
部活で疲れていたのか、何か悩んでいたのか、きっと酷い顔をしていたのでしょう。
ただただビックリしたのですが、
「そうだ!しっかりしなきゃ!」
と気を引き締めて帰りました。
家に着いて、私は母に
「その男の人の中に神を見た。」
と話したそうです。
記憶はボンヤリなのですが、そのときそう思った感覚は今もよく解ります。
後々母から
「あのとき、この子はちょっと違うなぁと感心した。」
と聴かされました。
道路の白線の上は歩けても、空中の平均台はとても渡れそうにありません。
知らないから出来ることってありますよね。
安全な道だと思っていても、実は脇の断崖絶壁に気付いていないだけってこと、意外とあるかもしれません。
辻々に立つそれらしい顔をしていない神さまが、知らないうちに助けてくださっているのでしょう。
感謝です。
おまけ。
この話とペアで思い出すのが、以前に甥の勉強相手をしていたときのこと。
日本史の「週末には町はずれに『 』が立つようになり…」みたいな問題で、
『市(いち)』と答えるところを「…(悩)、そうりょ?」と答えた甥。
ある意味正しいかもしれないと大爆笑しました。
そうだね、辻々に立つ僧侶や誰かや何かに護られ諭され導かれながら、私たちは生きていくんだね。
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