祈りを塗り込める
定期的にケアを受けてくださる方、調子を崩されたときに来られる方、ここぞという事の前に自分を整えにいらっしゃる方…いろいろおられます。
大切な催しがもうすぐだと聴くと、つい、無事に全てが運びますようにと祈るような気持ちになります。
病気も怪我もトラブルも、一見失敗に思える事柄も、その方にとって必要なことであれば、辛くてもちゃんと経過を辿って経験や学びを得なくてはならないでしょう。
でも、要らない邪魔は入らないに越したことはないですよね。
そんなために、私はケアで、全身全霊に祈りを塗り込めてるような気がします。
「香を焚き染める」という表現がありますが、お香は世界中で祈りや宗教的な意味合いが強いですね。
日本のお寺でも外国の教会でも、香りが染みた空間=祈りが染みた空間で、そこに入ると自然と気持ちが変わります。
バリ島を旅行したとき、朝出発したてのバスの運転手さんが、いきなりバスを停めて降りていきました。
「何ごと?」と思ったら、葉っぱの籠にお花とモクモクのお香を乗せて戻って来て、ポンと車内に置いて何食わぬ顔でまた走り出しました。
車内に充満する煙に驚いたのですが、“いつものこと”なのですね。
ヒンドゥー教のチャナンというお供えで、1日を平和に過ごせるよう神さまに捧げるのだそうです。
チャナンは、悪霊(悪い神様)にも「悪いことをしないでくださいね」と捧げるのだとか。
邪なものから守るためだったり、開運や成就の願いだったり…、香を焚き染めることは、全身に祈りをまとうこと、祈りを染み込ませることなのだなと思います。
同じくよく思い出すのは、『耳なし芳一』のこと。
盲目の芳一は優れた琵琶法師で、あるとき怨霊から毎夜演奏をねだられるようになります。
芳一の身を案じた和尚さんは、芳一を守るため全身にお経を写しました。
怨霊には、お経が書かれている身体部分は透明で見えなくなるからです。
でも耳に写経し忘れたため、怨霊は耳だけをもぎ取って持ち帰りました。
芳一は命を取りとめ、耳なし芳一として琵琶法師の名声は高まった、というお話。
写経のように全身撫でさすりケアしながら、できることは全部したかな、整ったかな、抜けてるところはないかしら、と考えます。
まぁ、男性の場合、そこはそうはいきませんので、くれぐれもアベサダ的なことになられませんよう、ご自身でご注意くださいませ。
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