善きこと
母校である明善高校の大同窓会が開催されました。
今年は幹事学年でしたので、前々からの準備~当日スタッフの1人として携わりました。
まだこの後も残務は続きますが、ひとまず終わってホッとしています。
以前は千数百名が年に1度、戦前生まれの方から卒業間もない人たちまで集まられていたそうです。
時代とコロナ禍もあって減ったとはいえ、最終集計を聞いていませんが、今年は650名くらいだったのでしょうか。
このところ「善」の字を目にする機会が多かったので、今日はそれをテーマに。
「善」というと、普遍的なものがあるかのような、個人的には硬い響きを感じてしまいます。
でも、時代によって、場面によって、人によって、価値観も尺度も変わるもの。
17世紀オランダの哲学者スピノザは、
「善悪は物事の組み合わせで決まり、それ自体として善いものや悪いものはない。」
と言ったそうです。
「私にとって善いものとは、私とうまく組み合わさって、私の持つ能力(私の力)を増大させるものである。」
と。
例えばこんな解説がありました。
「音楽」が落ち込んでいる人を元気づけるなら、それはその人にとって善いもの。
悲しみに浸る邪魔になるなら、それは悪いもの。
聞こえない人にとっては、善くも悪くもないもの。
「音楽」自体に善悪は無く、物事の組み合わせで決まるということがイメージできます。
人と人も、組む相手によって力を発揮できたり、ギクシャクしたりしますね。
上手くいかないときも、チームを組むには合わないのだなと思えば、無駄に相手や自分を悪く思うことも要りません。
引き立て合って、自分だけでは出来ないようなことを成し遂げられると、それはまさに「善」。
30数年ぶりに同級生と協働しながら、友の有難さを感じました。
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