キンモクセイと『ことばの教室』
久しぶりに高良大社へお参りしました。
七五三のご家族で賑わう境内には、今年は遅く咲いたキンモクセイの薫りが漂っていました。
キンモクセイの薫りで、毎年思い出されることがあります。
小学校のときに一緒だった女の子。
もしこれが彼女やご家族の目に触れることがあるとしたら、こうして書くことのお許しをいただければと願います。
教室では声が出なくなってしまう彼女は、今で言う場面緘黙症(かんもくしょう)だったのかもしれません。
― 場面緘黙とは『家などではごく普通に話すことができるのに、例えば幼稚園や保育園、学校のような「特定の状況」では、1か月以上声を出して話すことができないことが続く状態のこと』を言います。 ―
彼女もお家ではお話しできるのに、教室では出欠のお返事も難しかったように思います。
ずっとだったのか、ある一時期のことだったのか、もう記憶も定かではないのですが。
覚えているのは視力検査のときのこと。
みんなの前で答えるのはとても辛そうで、「声が無理なら手で指してごらん。」と言われてもどんどん萎縮して、なんて残酷な制度だろうと子どもながらに感じました。
当時、木造校舎の一角に『ことばの教室』というのがあって、放課後時々そこで彼女と一緒に遊びました。
二人で遊んでいると、ふとした時に勢い余ったように声が出ることがあって、それが私にはとてもとても嬉しくて。
『ことばの教室』の前にはキンモクセイの木があって、花の季節にはノートを破って作った袋に花ガラを詰め、母に持って帰りました。
その薫りと彼女の記憶が結びついているのです。
毎年キンモクセイの薫りがすると、母は、「文子が『匂い袋』ってくれたもんねぇ。」と懐かしみます。
そして私は、彼女を思って母と話をします。
どんな人生を送っているだろうか、幸せであって欲しいねと。
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