癒やしは始まり

本当に久しぶりにホールでのコンサートを聴いてきました。

座席は1つおきで、前後もずらしての感染対策。

興行的には大変でしょうが、聴く身としてはゆったりと見晴らしも良く贅沢なことです。

手嶌葵さん。

数年前に1度、福岡市役所前の広場で無料ライブを聴いたことがありました。

ザワザワの野外が、彼女が歌い始めるとヒタヒタと空気が変わっていきました。

テレビなどで流れてくる歌声は、か細く儚げなイメージでしたが、ステージの彼女からは軸のぶれない凛とした波動が伝わってきました。

ウィスパーボイスとも言われますが、私は囁きではなくちゃんと鳴っている声だと感じました。

あの歌声をホールで聴いてみたいなぁと思っていて、今回ようやく浸ることができました。


やっぱり歌声を聴いているだけで涙が出ました。

ゲストミュージシャンの方が、

「手嶌葵さんのコンサートの後は、森林浴をした後のようだ。」

とおっしゃっていましたが、確かに良い例えだと感じます。

そしてまた、とても感動したのは、アンコールの拍手!

歓声をあげられない分、お客さんたちの心が拍手に込められて1つになって…。

やっぱり生のステージは素晴らしいですね。



癒やしの歌声、癒やしの空間、癒やしの… そんな表現があちこちに溢れています。

「癒やされたい」という言葉もよく耳にします。

現代人は本当に疲れているのでしょうね。


辞書によると、

癒やし:肉体の疲れ、精神の悩み、苦しみを何かに頼って解消したりやわらげたりすること。

とあります。

また、そういう能力や存在のことを言う場合もあります。


私も施術のあとに「癒やされました。」と言っていただくことがあります。

嬉しいです。

でもちょっと気がかりだったりもします。

その癒やしは始まりでしかないと思っているからです。


心身にストレスがかかった状態が続くと、精神的に不安定になったり肉体に歪みが出たりします。

まずは、その心身を緩めることが必要でしょう。

ストレスが和らいで歪みから解放された状態を「癒やされた」と、多くの方が表現するような気がします。

それは私には、ようやくプラスマイナス0になったような、出発点に立ったようなイメージです。

大切なのは、その後だと思うのです。


緩んだ心身を引き締めて、現実の日常を送るエネルギーを自力で作りながら暮らせるかどうか。

ケアの後はいつも祈る思いで送り出します。

悲しいかな、日常は様々な危険物にまみれています。

自家発電力(とでも言いましょうか)が落ちていると、癒やしの後に反って辛い思いをするかもしれません。


ただ癒やされるだけではなく、

エネルギーを作る力が回復するように、上達するように

エネルギーの駄々洩れが少なくなるように

エネルギーをストックできる容量が増えますように

そういうケアを目指していますが、一朝一夕にいくものではありません。

それでも焦らず押し付けず、回復を信じて手当します。


深い意味での癒やしには、そういう全てが含まれているのだろうと思うのですがね。

そうであれば、癒やしは始まりではなく、癒やしこそ全てなのかもしれません。

今日もほんわか

~心と体のほんわか手当て~ ケアサロン ほんわか 堤文子ブログ

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