見えなくてもいいもの

普通の人には見えないはずの不思議な現象が見えてしまったり、不思議な写真が撮れてしまったりする方がおられます。

「見える人ってすごいなぁ。いいなぁ。」と思ったこともありますが、見えたり感じたり分かったりする力が強い方には、特有の苦労もあるそうです。


私の師匠は、

「見えなくていいものは見えなくていい。」

「見えないはずのものが見えたり写ったりするということは、普通なら素通りしたり通り抜けるはずのものが物質化するということ。影響も受けるし、不具合も起きる。」

と仰っていました。

また、

「見えなくても信じている人には、わざわざ目で見せる必要がない。」

と。


霊的なものや気やオーラなど、見えることと能力とは別の話なのだと腑に落ちました。

私は見えなくても信じているし、何となく感じながら暮らしている。

それ以来「私は見えなくて良かった。」と思うようになりました。



例えば、気功で人をふっ飛ばす場面を見ることがあります。

確かにすごい。

すごいけれど、ふっ飛ばすことが気功の目的ではないはずです。

パフォーマンスを見た人が、気というものがあるのかも、すごい働きをするのかもと思えるなら、それも1つ意味のあることでしょう。


でも、気が強い=優れているかというとどうでしょう?

人をふっ飛ばす勢いで日々暮らしていたら、周りも迷惑しちゃうかも。

必要に応じて使えていることが大切なのではないでしょうか。

そのための鍛錬だと思います。

見えない何かを見ようとしたり、すごいパフォーマンスを目指す必要は…私にはないかな。

今日もほんわか

~心と体のほんわか手当て~ ケアサロン ほんわか 堤文子ブログ

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